「・・・袖触れ合うも多少の縁とは言うけれど・・・」
お分かりですか? 本来は(正しくは)「・・・袖触れ合うも他生の縁とは言うけれど・・・」
です。そう「他生」なんですよ。他生とは「今生(こんじょう)」以外つまり前世と来世のことです。袖が触れ合うほどの出会いでも,それは前世から決まっていたことであり,だこらこそ出会いは大事にしましょうと言う話である。言葉とは絶えず流動的で不易(不易と流行G)なんてことはない。不易ならそれは死語同然であり流行こそが言葉の真骨頂であろう。なので,一般的に言葉の誤用って多いんだけれど,頭からそれを否定する気は毛頭ない。ただ,言葉の本来の意味を知っておくのも悪い話ではないだろう。
さてここで「袖触れ合うも多少の縁G」と「袖触れ合うも他生の縁G」とでGoogle対決をしてみましょう。結果は149件対279件で「他生」の勝利。まだまだオリジナルが優勢ですね。
ところで「袖触れ合うも多少の縁」って気持ち的には,袖触れ合うぐらいの「ちょっとした」縁のことを言いたいんであろうが,もしそれならば「袖触れ合うは多少の縁」の方が個人的には自然と思う。なのでこの両者を織り交ぜるとさしずめ以下のようになるだろうか。「袖触れ合うは多少の縁,されど袖触れ合うも他生の縁」
出会いは大切にしないとね。















これも間違いってご存知でしたか?
本当は
「・・・袖(振り合う)も(多生)の縁とは言うけれど・・・」
ですよ。
国語辞典などで調べてみることをおすすめ致します。