袖触れ合うもタショウの縁

さて問題です。下の文章で「間違い」を指摘して下さい。

「・・・袖触れ合うも多少の縁とは言うけれど・・・」

お分かりですか? 本来は(正しくは)

「・・・袖触れ合うも他生の縁とは言うけれど・・・」

です。そう「他生」なんですよ。他生とは「今生(こんじょう)」以外つまり前世と来世のことです。袖が触れ合うほどの出会いでも,それは前世から決まっていたことであり,だこらこそ出会いは大事にしましょうと言う話である。

 言葉とは絶えず流動的で不易(不易と流行G)なんてことはない。不易ならそれは死語同然であり流行こそが言葉の真骨頂であろう。なので,一般的に言葉の誤用って多いんだけれど,頭からそれを否定する気は毛頭ない。ただ,言葉の本来の意味を知っておくのも悪い話ではないだろう。

 さてここで「袖触れ合うも多少の縁G」と「袖触れ合うも他生の縁G」とでGoogle対決をしてみましょう。結果は149件対279件で「他生」の勝利。まだまだオリジナルが優勢ですね。

 ところで「袖触れ合うも多少の縁」って気持ち的には,袖触れ合うぐらいの「ちょっとした」縁のことを言いたいんであろうが,もしそれならば「袖触れ合う多少の縁」の方が個人的には自然と思う。なのでこの両者を織り交ぜるとさしずめ以下のようになるだろうか。 

「袖触れ合うは多少の縁,されど袖触れ合うも他生の縁」

出会いは大切にしないとね。

― by まーちん @ 12:07 am commentComment [2] pingTrackBack [0]

この記事に対するコメント・トラックバック [2件]

scrollUp1. 名無し — 2009/05/02@08:35:39

「・・・袖触れ合うも他生の縁とは言うけれど・・・」

これも間違いってご存知でしたか?

本当は

「・・・袖(振り合う)も(多生)の縁とは言うけれど・・・」

ですよ。

国語辞典などで調べてみることをおすすめ致します。

Owner Comment まーちん Website  2009/05/04@17:40:47

こんにちは。ご指摘ありがとうございます。手元に国語辞典がないので、webで調べてみました。
http://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/torii023.htmlLink
によると、

「多生」とは仏教の言葉で、この世に何度も生まれ出ること。
生と死を繰り返す「輪廻転生」「生まれ変わり」の思想です。

とあり、一方、

「他生」もまた仏教の言葉で、「今生 (こんじょう)」に対する「前世」と「来世」を示します。
ことわざとしての解釈は「多生の縁」とほぼ同じですが、この場合は「前世」のみに限定する必要があります。
「来世の縁」では因果律が崩れてしまいますので、「因果応報」につながりません。

とありました。ことわざ本来としては、「多生」で、前世のみに限定するようですね。個人的には、どちらかというと「来世の縁」も重要な観念なので、あえて「他生」の方が、拡がりがあって良い気もしますが、この文章を書いた当時は、そんな使い分けは存じませんで。
 いずれにせよ、勉強になりました。

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