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Sat 10 Jul ’04
もうすぐ参院選
― by まーちん @ 04:31 pm
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Wed 02 Jun ’04
情操と情報と
情報が氾濫しているとは言い古された言葉であるが,今回の痛ましい事件も案外そんなところが影響しているかもしれない。詳細は知らないけど呼び出して凶行に及んだことから計画的犯行であり殺意があったのだろう。 何でもない,最近よくある事件のひとつだ。あまり特異性はない。たまたま女の子で年が11歳だっただけのこと。そしてたまたま「また長崎」だっただけ。きっと,理由も「えっ,そんなことなの?」「えっ,そんなことで殺してしまったの」という展開であろう。これもよく聞かれる言葉であるが,「命の尊さが分からない」「人の命を何とも思わない」「痛みに対する想像力」という台詞もいろんなコメンテイターが口にするだろう。 死(殺人)に対するリアリティーの欠如。慮るに,これは今日の世相を反映しているのだろうか。テレビ,雑誌(コミック)などの言葉や映像を通じてあたかもサブリミナルGの如く,子供たちの脳にかつてないほどの情報が蓄積されていく。空気のような情報に検閲はない。これは深い思慮がないと不可避の受動体験としてこどもたちに襲いかかる。 かねがねこういう不安があった。高度に情報が発達し蓄積する,その時代のスピードに人間の脳はついていけるのだろうかと。子供の情操の発達というのは,この人間という種・社会にとってまさに要(かなめ)の不可欠の過程であると思うわけであるが,このIT時代,多すぎる情報は情操の発達に悪影響を及ぼすのではなかろうか。 後日言及すると思うが,実は環境ホルモンは,当初言われていたように人体への悪影響はそんなにないことが最近明らかになってきている。ヒトが作り出す化学物質よりもより毒性があり,また電磁波のように捉えがたくまた電磁波よりも性質(たち)の悪い,そんな存在として「過度の情報」がクローズアップされてくるだろう。
新約聖書ヨハネによる福音書(ふくいんしょ)はこういう言葉から始まる。
「初めに言葉(ロゴス)があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」
これは言葉の持つエネルギー,人に与える影響の強さを言い表している(と思う)。ここでいう「言葉」を「情報」に置換,そして「神」を様々なことをやってのける「力」と置き換えると良い。「情報」を軽んずると痛い目に会うだろう。このあたりも参考に。
Yahoo!ニュース「TV見すぎると注意散漫
」
― by まーちん @ 12:56 am
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Mon 03 May ’04
捕虜問題―メディアによる抑止力
アメリカって前から好きじゃないけど,やっぱ嫌いだ。西部開拓時代のアメリカが好きなときもあったけど,その裏にあるアメリカインディアンの迫害の歴史を知ってからはそうでもなくなった(中公新書とかにアメリカインディアンの歴史本とかあるけど,その壮絶な迫害に涙します)。いずれ海外留学とかの機会もあるだろうけどアメリカだけは絶対にイヤだなぁ。という感情論もあるが。
ニュースでアメリカ兵によるイラク人捕虜虐待の報道が流れている。捕虜の虐待自体は何も目新しいものではなくて何千年も前から人類の戦争の歴史と共に当たり前のように行われてきたものである。なのに今回の報道はかなりセンセーショナルな感がある。宗教・民族・占領政策など様々な要素が複雑に絡みあっているのが主因だと思うが,他に重要な要因としてその虐待の実態が明らかにされて世界を駆け抜けるスピードが速かった,というのがあるだろう。最初に報道したのが確かアメリカのメディアだったというのもなかなか興味深いが。こういうインターネット時代だからそういうニュースは瞬く間に世界を流れるし,ネット上では様々なブロッグが飛び交いそれらがまたテレビなどの既存のメディアに投影される。それも情報発信元は世界各地多岐に渡り統制なんて取れたものではない。
アメリカはかなり窮地に立たされるなぁ。第2のベトナムなんていわれるけど宗教が表立って絡んでいるからもっと泥沼化するんじゃなかろうか。その前にアメリカは手を引くか。せっかく手に入れた利権を手放してまでも。こういうことをしてきたからアルカイダとかが生まれて来たのじゃないのかな。
これからも戦争は絶えることはなく,また世界のどこかで必ず新たな戦争が起こり新しい捕虜が生まれそしてこれまで通り虐待を受けるであろう。前向きではないが更に発達するメディアがこういう行為に対する抑止力となる可能性はあるかな。 常々思うことであるが人間はやっぱり性悪説(性善説 性悪説G)に則るのかな。個人的には性善説を信じたいのだけれどこれはもはや希望になりつつある。
そうそう捕虜問題ってあの映画(es 映画 ドイツG)を彷彿とさせますね。これは本質なのか。
― by まーちん @ 04:17 pm
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Fri 26 Mar ’04
袖触れ合うもタショウの縁
「・・・袖触れ合うも多少の縁とは言うけれど・・・」
お分かりですか? 本来は(正しくは)「・・・袖触れ合うも他生の縁とは言うけれど・・・」
です。そう「他生」なんですよ。他生とは「今生(こんじょう)」以外つまり前世と来世のことです。袖が触れ合うほどの出会いでも,それは前世から決まっていたことであり,だこらこそ出会いは大事にしましょうと言う話である。言葉とは絶えず流動的で不易(不易と流行G)なんてことはない。不易ならそれは死語同然であり流行こそが言葉の真骨頂であろう。なので,一般的に言葉の誤用って多いんだけれど,頭からそれを否定する気は毛頭ない。ただ,言葉の本来の意味を知っておくのも悪い話ではないだろう。
さてここで「袖触れ合うも多少の縁G」と「袖触れ合うも他生の縁G」とでGoogle対決をしてみましょう。結果は149件対279件で「他生」の勝利。まだまだオリジナルが優勢ですね。
ところで「袖触れ合うも多少の縁」って気持ち的には,袖触れ合うぐらいの「ちょっとした」縁のことを言いたいんであろうが,もしそれならば「袖触れ合うは多少の縁」の方が個人的には自然と思う。なのでこの両者を織り交ぜるとさしずめ以下のようになるだろうか。「袖触れ合うは多少の縁,されど袖触れ合うも他生の縁」
出会いは大切にしないとね。
― by まーちん @ 12:07 am
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Mon 08 Mar ’04
心原性脳梗塞
メディアによれば今回の長嶋監督の脳卒中の原因らしい。心房細動などが原因で血栓(小さい血の塊)が出来てそれが血流に乗って脳の血管に詰まって発症するわけであるが,慢性的に心房細動という診断がついていれば,普段から血を固まりにくくする内服薬を飲んだりしてある程度の予防が可能である。ところがストレスなどが原因で突発的に起こる心房細動は予防のしようがなく,今回のケースは後者であろうから,やはり高齢(68歳)に加え,野球の日本代表監督というのは本人も自覚しないようなストレスがかかっていたんではないのかなと思う。 病状は安定しているようであるが,脳梗塞後にその梗塞の起こった部位で出血し,状態が悪化するとこともままある話なので決して楽観視はできないだろう(幸いにも梗塞巣は比較的狭い範囲に限局している印象であるが)。
― by まーちん @ 12:38 am
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