三位一体とカルケドン信条との矛盾

 連載中の「夢十夜 第四夜Link 」では、5世紀のコプト教会が舞台となっている。その中の登場人物に修道士トマスがいるが、彼の発言の中には矛盾があることに気付いていた。でも、夢なんだし仕方ないなぁとそのまま記述したわけであるが。

 彼の発言を追っていくと、まず彼は、451年のカルケドン公会議Link で採択された「両性説」について言及している。曰く、

「公会議では、主イエス・キリストの本性が最大の議題でしたよね。キリストは神性と人性という二つの本性を、唯一の位格(いかく、ペルソナ)の中に併せ持つという教義が採択されたと聞きます・・・」

引用元: 夢十夜 第四夜Link
 そして、後半ではメジャーなキリスト教でのセントラルドグマともいうべき「三位一体」の教義に言及し、次のように述べている。

「私たちの信仰告白は、父と子と聖霊という3つの位格が一体であるという三位一体を中心の教義としていますよね・・・」

引用元: 夢十夜 第四夜Link

 何かおかしいと思わないだろうか。共に位格(ペルソナ)という聞きなれない単語が出てきている。英語のパーソナリティpersonalityの語源となった言葉だ。ペルソナといえば役者が舞台で被る役割の仮面を連想するだろうが、ここでは違う意味と思われる。いずれにせよ、人間のペルソナであれば「人格」となるところであるが、神に関するペルソナだから「位格」とした、ぐらいの解釈で良いだろう。

 で、自分が「あれっ、矛盾してないかい?」と思ったのは、三位一体では、神・イエス・聖霊という3つの位格があるとしているのに、両性説では、神とイエスとはただひとつの位格にあるとしている点だ。共に、現代のいわゆる正統派と呼ばれるカトリック教会、正教会、プロテスタント教会の中心教義だと思うのだけれど。。

 三位一体のイメージだと、[]を位格とすると

{[神]=[イエス]=[聖霊]}
で3つの[位格]があるけど、両性説では、
{[神=イエス]}
のように、三位一体の内の2つである[神][イエス・キリスト]がひとつの[位格]に収まってしまっている。自分の解釈がおかしいのかなぁ。三位一体と両性説とでは[位格]の意味が違うのだろうか?

 まだ自分の中で整理しきれていない部分があるので、以下に主要と思われる出来事を時系列に書いておく。

  1. 313年  ミラノ勅令

     ニコメディア(ミラノではない)でローマ皇帝コンスタンティヌス1世が信教の自由(キリスト教に限らない)を保障する勅令を出した。キリスト教優遇政策の始まりとされる。

  2. 325年  第1回ニカイア公会議 

     キリストの神性の解釈をめぐる問題において、アタナシオス派がアリオス派に勝利して、(原)ニカイア信条が採択された。アリオス派は父と子は異質である(=イエス・キリストは神が創造した)と唯一神教を主張したが、三位一体論のアタナシウス派は、父と子は同質とした。敗北したアリオス派は異端とされた。

  3. 381年 第1コンスタンティノポリス公会議

     テオドシオス大帝(1世)が、コンスタンティノポリス(現イスタンブール)で公会議を開催して、ニカイア信条を修正したニカイア・コンスタンティノポリス信条を採択。アリウス派やホモイウジオス主義者(ニカイア信条に入っていた「同質=ホモウジオス」という言葉に反対し、「相似=ホモイウジオス」という言葉を支持した人々)の排斥を決定した。

  4. 431年 エフェソス公会議

     アレクサンドリア総主教キュリロスとコンスタンティノポリス大主教ネストリウスの論争に決着を付けるために開催。ネストリウス派は、イエス・キリストの人間性と神性とを完全に独立した二つの自立存在を想定したが、キュリロスは、キリストは唯一の自立存在であるとした。会議は、二転三転し混乱を来たしたが、最終的には、ニカイア・コンスタンティノポリス信条を再確認し、聖母マリアは「神の母(テオトコス)」であるとされた。そしてネストリウス派の、マリアは「キリストの母(クリストトコス)」であるという主張は退けられ、ネストリウス派は異端とされた。

  5. 451年 カルケドン公会議

     イエス・キリストには神性のみが存在するという「単性説」を排斥し、キリストは神性と人性を持ち、その二つの本性を混合することも分かれることもなく唯一の位格、唯一の自立存在の中に有するという「両性説」を採択した。そして再度、ネストリウス派の排斥も行われた。この会議でカルケドン信条Link が定められた。

 何かご指摘などあれば助かります。

― by まーちん @ 03:33 am commentComment [0] pingTrackBack [0]

パリマンガ祭りのポスターの件

 パリのメトロ(地下鉄)のプラットフォームにはいろんなジャンルからの大きな広告が貼られていて、それらは2週間ぐらいでどんどん変わっていくから、眺めるだけでもなかなか楽しめる。

 2月6-7日に、パリマンガ祭りLink があるようだ。その広告が大きく貼られていたので写真に収めた。

paris-manga1
それなりにシュールな感じ。

404 File Not Found

 週刊少年ジャンプは分かるなぁ。ブリーチの苺に、ワンピースのルフィに、Narutoのナルトだよねぇ。でもこんな顔だったかなぁ。ディズニー独特のキャラクターデザインがあるように、フランスにもフランス独特のキャラデザがあるのだろう。そういえば、こんなデザインのフランス製アニメが放映されてたっけ。

 


― by まーちん @ 01:10 pm commentComment [3] pingTrackBack [0]

週末のパリ

 1月16日から17日にかけて撮りためた写真たち。
Louvre1
ルーブルの比較的新しいシンボルのピラミッド。ダ・ヴィンチコードの舞台となった。
Louvre2
凍てつく寒さの中、深々と鉛のような空との対比が良かった。
Louvre3
ホテル・デュ・ルーブル。日本から来て、何泊かしてじっくりルーブル美術館を見学するには格好のホテルだなぁ。
MoulinRouge1
フレンチカンカンで有名なムーランルージュ。「赤い風車」という意味。夕暮れ時の空が良い感じだった。
MoulinRouge2
ここはいつも賑やかだ。博多の中洲みたいなもんだな。
MoulinRouge3
ムーランルージュは以前行ったことがある。ダンスあり大道芸ありとてんこ盛り。正直ストリップ劇場みたいなとこ(行ったことないけど)かなぁと思っていたけど、ぜんぜん違ってかなり楽しめた。おススメ。
SacreCoeur
夜のサクレクール寺院。夜行くのは初めて。ライトアップされた感じもなかなか良いね。

― by まーちん @ 02:15 am commentComment [2] pingTrackBack [0]

テスト

# 動作確認のためのテスト投稿。オリジナルの文章は、m-tezuka氏「富士山撮影記Link 」にあります。

XXX病院の裏の遊歩道を上ると崖の上に出る。しばらくは雑木林で展望は無いが第千中学校付近まで来ると木立の間から富士山が見える。眼下の調布飛行場から飛び立った飛行機が、ファインダーに入ったところでシャッターを押す。

撮影地 XX市XX2丁目 
撮影日 2010年1月6日9:10 
データ Canon EOS 40D EF35-350mm F3.5-5.6L/85mm F8 オート 

― by まーちん @ 08:35 am commentComment [3] pingTrackBack [0]

井の中の蛙大海を知らずの続き?

 よく知られた諺(ことわざ)「井の中の蛙(かわず)大海を知らずLink 」とは「胡蝶の夢」で有名な荘子W(そうし)の著書『荘子(そうじ)』秋水篇の中のエピソードによる。

北海若(ほっかいじゃく)曰く、井蛙(せいあ)には以(も)て海を語るべからざるは、虚に拘(かかわ)ればなり。夏虫(かちゅう)には以て冰(こおり)を語るべからざるは、時に篤(あつ)ければなり。曲士(きょくし)には以て道を語るべからざるは、教えに束(つか)らるればなり。

意訳: 北海の神である若(じゃく)が言った。
「井戸の中の蛙には、大海は語れない。自分の居場所にこだわっているから。また、夏の虫に氷は語れない。夏の季節しか考えないから。大局を見ないものは真理を語れない。卑俗な教理に捉われているから。」

出典: 荘子 外篇・秋水第十七 第一章

 乱暴に言えば「悠久の自然や時間に比べれば、ちっぽけな人間の知識なんて当てにならない」ってとこだろう。ところで、秋水篇は7章から成っているようで、この諺「井の中の蛙大海を知らず」の出典としては、この第一章ではなくて第4章の方Link だという説もある。確かに後者の方がそれっぽい。どちらにせよ、秋水篇の中であることには変わりない。

 で、ここからが本題だけど、別件でたまたま「井の中の蛙大海を知らず。されど空の高さと水の深さを知る。」という言い回しを見てびっくり。えっ、そんなのあったっけなぁ。調べてみると、後半は色々バリエーションがあるようだ。「されど空の深さを知る」「されど天の広さを知る」「されど地の深さを知る」「されど空の青さを知る」などなど。どうも日本で後世の人が後付けしたらしい。

 じゃ、誰がこんな洒落たことを最初にしたのだろう? 適当に調べて見たが、どうもはっきりしない。使われているものとしては、小林よしのり氏の漫画『ゴーマニズム宣言』4巻第85章に「井の中の蛙大海を知らず。されど空の深さを知る。」とあるらしいし、2004年のNHK大河ドラマ「新選組!」(三谷幸喜 脚本)での近藤勇に台詞に「井の中の蛙大海を知らず。されど空の高さを知る。」というのがあるらしい。最も古そうなものとしては、陶芸家河井寛次郎W(かわいかんじろう 1890-1966)氏が、自分の作品を批判された際に「井の中の蛙大海を知らず。されど天を知る」と言ったというエピソードがあるLink ようだ。

 個人的には、江戸時代あたりに川柳の感覚でどこかの風流人がとってつけたんじゃないかなぁと妄想するけど、こういうことを詮索するようでは荘子に怒られるかな。

 余談だけど、「井の中の蛙 千代大海を知らず」というのもあるらしい。うむ、引退した力士だから、蛙が知らないのも無理はないか。。

 


― by まーちん @ 05:23 pm commentComment [2] pingTrackBack [0]

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